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「ユフィール様、ユフィール様!!」王妃の異変に最初に気がついたのは女中だった。もとより病床の身ではあったが、ここしばらくは危険な状況が続いていた。「王がすぐ参られます!どうか気を確かに!」ベッドの周りを囲む何人もの召使や医者たちが声をかける。と、そこに鳴り響く大きな音。ドアを開いて現れたのは王位を継いだばかりの若きオーラント王であった。「ユフィール!」王は冠が落ちるのも気にせずに駆け寄るとベッドの上で横たわるその青髪の王妃の手を握った。「あなた様・・・」細い声でうわごとのように呟く王妃はただ天蓋を見つめる。もはやその目は見えてはおるまい。王は震えながら声を振り絞る。「・・・ていけ」周りのものが聞き取れずにもう一度耳を澄ます。「王族以外のすべてのものはこの部屋から出ていけ!」鬼気迫るその表情に、慌てて家臣たちは部屋を後にする。いよいよ終わりの時か、と思われた。寝室の扉を閉めると王ははじめて泣きわめく声に気がつく。王妃の傍に眠っていた赤ん坊、リスタと名付けたその子を抱き上げる。「大きな声を出してすまなかった。お前は、王族だな。」そう言って優しい笑みを作る。王は赤子を小さなベッドに寝かせるとユフィールに歩み寄る。顔は白く、触る腕は冷たいのに汗が一向に引かない。呼吸は徐々に荒くなっていく。「ユフィールよ。"薬"を飲んだのだな。」王の意味深い一言に王妃はうなずく。「あなた様の・・・していることはすべて・・・お見通しよ。」「ならなぜ、薬を飲んだのだ。」王は静かに問いかける。王妃は息を整えながら答える。「オーラントシステムはオーラントの血1000年の悲願よ。あなたも婿になったのなら認めなさい。」王妃の静かながら強い発言に王もゴクリと唾を飲む。オーラント・システム。オーラントの血を持つ女性の中でも魔術の才能に優れた個体を特殊な薬剤で殺し、いや"精霊化"することで、それを依代として巨大な四則魔法陣で"奴ら"を取り囲む。「今回の制御依代は私。これは500年も前から予言で決まっていたこと。」そう言うと、荒い息の中で王妃は強い目をオーラント王に向ける。彼は受け入れがたいと言わんばかりに体を震わせた。「いや、お前は死なせはしない。俺が愛した人だ。絶対に!」王は涙を流す。そしてドアの方を見る。「入ってこい。」促されて室内に立ち入ったのは足元まで伸びる長い青髪。年の頃12歳ころの少女だった。彼女はキョトンとした顔で2人を見つめている。「コイツがお前の代わりに依代になる。今のところ実験は失敗続きだが、必ず成功させる!だから!」そう言って王妃の手を握る。しかし、意外にも王妃はその手を払い除けた。「馬鹿なこと!そんな"作り物"に聖なるオーラントの務めを渡せというの?!」その顔は、死に瀕するものとは思えないほどの怒りを表す。王はその様子に驚き、たじたじと後ろに下がる。不意に、王妃の体が不自然に飛び跳ねた。赤く体が輝き始める。王妃は突然人が変わったように、満足げに笑いを漏らす。「いよいよだわ。私は"光の精霊"に生まれ変わる。あなた様とのお別れがこうなってしまったのは残念だわ。」そう言うと、ベッドの体を残して光に満ちた霊体が傍に立ち上がる。16歳ほどに見える背の高い少女。気の強そうな顔立ちは王が出会った頃のユフィールそのものだ。「リスタ達を、宜しく頼みます。そこだけはあなたを信じているのよ。」赤子の頭を優しく撫でると、王の方には振り向かずに飛び立つ。後に残されたのは抜け殻のような、白い顔の亡骸だけであった。部屋には暗闇だけが残され、静かさが辺りを支配していた。王は涙を流しながら部屋を出ようと歩き始めるが青い髪の"作り物"の少女にぶつかる。「役立たずめ。」喪失感から思わず悪態をつく。言われた少女は無表情のまま立ち尽くしていた。「未完成品め。お前も"感情を持てない"失敗作か?なぜ、なぜ間に合わなかった。なぜ、なぜ。」王はその少女の足元にうずくまる。涙がいくつも絨毯へと沈み込んでいく。「いつか、絶対にユフィールを取り戻す。そのために何度でもお前を"再起動"してやる。何度でも何度でも何度でも!」若き王はそう吐き捨てるとその場を去っていく。少女は振り向いた。ぶつかった肩が粘土細工のように崩れ落ちている。「やはり私は紛い物、ですか。」そう呟くとベッドに歩み寄り、自分と同じ髪色のその亡骸を見つめる。

はっ、と夢から目を覚ますと隣では静かな寝息が聞こえる。月光に照らされる金髪の少年。彼の今の名はそう、ジェンド。私は彼の髪を優しく撫でる。今のは彼から流れ込んできた、彼の母の記憶。どうやら、彼を経由して"本体"から流れ込んできているんだろう。それも当然だ。私は思わず呟く。「何せこの魔王城はオーラントシステムのど真ん中にあるのだから。」オーラントシステム。オーラント王国の生み出した隠された制御機構。魔王城を囲む四つの魔法城に光、闇、大地、風の精霊を縛りつけた、オーラントの持つ"最大の秘密"を封じ込めるための巨大なカラクリ装置。私の声に反応したのかジェンドは瞳を開ける。「オーラントシステムの事か。俺もうっすらと感じていた。本来なら"完成しないはずの機構"が、とある誤算から"逆に"完成しようとしている。」私はうなずいた。「風の精霊ね。」核心を突く。「オーラントの血は1000年を経てどんどん薄くなっていった。精霊秘薬を使っても精霊化する事はもうできないだろう。俺の見立てでは俺の母ユフィールが"ギリギリの濃さ"だったと言える。つまり1000年をかけて歴代王妃の中から適任者は3人しか生まれなかった。風の精霊が不在・・・なはずだった。」そこで一回ジェンドは言葉を切ると私の瞳を見る。「しかし、我が母ユフィールと"同じ濃さの血を持つ者"が何故か存在している。何故だ?」私は首を横に振った。「わからない。誰の思惑か、偶然かは知らないけれど絶対にオーラントシステムは完成させない。」私は怖い。震える手で思い切り彼を抱きしめた。「オーラントシステムの中では伝承が歪む。私たちはありもしない"魔王軍"として祀られて、永遠の悪者にされる。」ジェンドもうなずく。「国民から永遠に魔王戦戦争の重税を容認させるオーラント永久経済システム。オーラント1000年の宿業。」私の目からは涙が流れていた。「どうしたらいい?どうしたら?私が力を与えた者は皆、みんな裏切っていく。私はいつでも一人ぼっち。こんな私でどうしたらいい?」私の流した涙をジェンドは拭いた。「泣かなくていい。大丈夫だ。邪魔なものは俺が全てなぎ払う。」そう言って、誰からも、彼からも魔王と呼ばれる私をしっかりと抱きしめてくれる。そして、最後に一つ囁いた。「俺とお前の2人で魔王軍だ。」と。

  • 最終更新:2020-08-12 06:15:15

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